ーー |
実は今回、慶子さんの音源もご紹介したくて、
方法をあれこれ考えていたんです。
そうしたらつい最近、
YouTubeに音源をいろいろアップなさったのを知って
やった!と(笑)。
ライブ収録の音源なんですよね。
映像が影絵のような静止画だったりして、
あの感じ、ちょっと新鮮でした。 |
吉田 |
わたし自身が音楽を聴くときに
音に集中したいたちなんです。
「どうして動画じゃないんですか!?」とも
言われたんだけど。
でも、あれはもともと音源しかないから
しょうがないの(苦笑)。 |
ーー |
一説には、五感のうち視覚が約8割を占めるとも
言いますもんね。
そこまでかな?とも思うんですけど、
音楽を聴くときに
映像がないほうが集中できるというのは、わかります。 |
吉田 |
とくに動画を見ながらだと、
“聴く”がちょっとおろそかになって。
ちゃんとした音で聴いてほしいという希望もあったし、
あれは苦肉の策(笑)。 |
ーー |
慶子さんの音楽は音の隙間まで聴きたくなるから、
すごーくいいアイディアだと思います。 |
吉田 |
良かったー。
わたしが好きだなぁと思う音楽は
やっぱり1人か2人で演っている、
その人の音がわかるものなんです。
音楽もさることながら、
奏でている“ひと”が好きなのかもしれないですね。
そのひとはどんな音を出すのかな、とか。
そういうものを聴きたいんだと思う。
それを聴きとれる範囲となると、
わたしの場合は多くて4人かなぁ。
オーケストラも美しいけど、
また別の美しさなんですよね。 |
ーー |
もしかして慶子さんは
「ブラジル音楽好き」とは、ちょっと違いますね? |
吉田 |
ジョアン好きかな(笑)。
わたしはブラジル音楽という
ジャンルが好きなんじゃなく、
ブラジルで生まれたジョアン・ジルベルトや
アントニオ・カルロス・ジョビンという
“ひと”が好きなんでしょうね。
それにある意味、
ジョアンもブラジル的ではないんです。
ブラジル音楽って全体的にみれば
もうちょっと陽気だし、華やかだから。
彼はボサノヴァを創ったひとだけど、
表現としては異質。
わたしはそういうジョアンが好きなんです。
そしてわたしがやっているのも・・・・・・時々、笹子さん
(ギタリストでショーロクラブのメンバー笹子重治氏)と
「わたしたちがやってるのは
ブラジル音楽ではないのでは?」って話すんですね。
少なくとも、わたしと笹子さんの
二人でやるライブについては、そうなんじゃないかって。
ブラジル的じゃない。
ものすごく日本的。 |
ーー |
ええ、わかる気がします。
向こうではサウダージと呼ばれるものが、
慶子さんが歌うと、わびさびのエッセンスというか、
日本的な"間(ま)"のようなものが入ってくる。 |
吉田 |
そうかも。
だからわたしのやっていることは、
伝統的なブラジル音楽を歌っているという意味では
たしかにそうかもしれないけど、
「ブラジル的」とは思っていないというか。 |
ーー |
サンバカンソンを歌うときの慶子さんなりのポイントって
どんなものですか? |
吉田 |
サンバカンソンってもともと、
オーケストラというか大編成をバックに歌う
日本のムード歌謡みたいなものなんです。
そういうふうに生まれたものなんだけど、
メロディーそのものを取り出しても、すごく美しい。
その美しさ、ハーモニーの魅力を壊さないように
気をつけてますね。
ジョアン・ジルベルトは
ボサノヴァのひとと言われるけど、
実際に歌っているのは古いサンバカンソンなの。
彼が歌うとボサノヴァと言われる、というだけで。
つまり彼は、
サンバカンソンから華やかさを取りのぞいて、
楽曲の核みたいなものを抽出したんですね。
楽曲の核を大事にすることで、
その曲をまったく別の物としてよみがえらせた。
わたしがジョアンを好きなのはそこなんです。
だからわたしも歌うときは、楽曲の核、
美しさの核を大事に思って歌ってます。 |
ーー |
飾りをそぎ落としたところにある
エッセンスを愛でるというのは、
慶子さんにとっては音楽だけじゃなく
人生にも通じていそうですね、きっと。 |
吉田 |
そうだと思います。
そこを大事にしたい。
わたしはそれをとても美しいものだと思ってるし、
いいなと思ってるんです。 |
ーー |
ライブでは歌詞についてもよく触れてますよね。 |
吉田 |
その時々ですね。
初めてのひとが多かったら説明するし、
常連の人が多いときはあまり説明しない。
でも、できるだけ曲の説明はしたいと思ってます。
ポルトガル語はやっぱりなじみが薄いのと、
わたしがなぜこの曲を好きなのかを、
ちょっぴりでも伝えたいんですよね。
「ここの響きの、この言葉の、ここがいいよ!」って(笑)。
ただ、どちらかといえば歌詞そのものは
あまり重要視してないの。 |
ーー |
えっ、そうなんですか? |
吉田 |
だからポルトガル語なんだと思う。 |
ーー |
ああ、そうか・・・・・・! |
吉田 |
日本語の歌をあまり聴かないのも、
ひとつには歌詞があるかもしれないですね。
歌詞が音楽の邪魔をして、曲に入り込めないんです。
音の美しさに感動したいのに、
具体的な言葉がいっぱい入ってくると集中できない。
わたしは“音”を聴く人間なんだと思う。 |
ーー |
なるほど。
一瞬、意外な気もしたんですけど、
言われてみればすごく納得。 |
吉田 |
でも、すべてのひとが
わたしのような聴き方をしているとは思わないし、
なにが歌われているかを大切にするひとも多いから
説明するけど、
実はわたし自身はあまり関係なくて。
・・・って、こんなこと言っちゃいけないか(苦笑)。 |
ーー |
ということは、
歌詞がわからないまま歌うのもOKなんですね? |
吉田 |
全然平気(笑)。
だってこんな美しい曲なんだもん!って。
でも、なんとなくの内容だけでも知りたいというのも、
よくわかる。 |
ーー |
料理でいえば、美味しい!だけじゃなくて、
素材もちょっと知りたい、という気持ちは
やっぱり出てきちゃうかもしれないですね。
それと文化が違うので、
「こういう歌なんじゃないか」という予想が
通用しない気もして、
少しだけでも知って安心したいというのもあるかも。 |
吉田 |
わたし自身は歌詞重視ではないにしても、
ボサノヴァもサンバカンソンも、歌詞もすごくいいです。
本質的だし、美しい。
韻を踏むセンスもすごく高度。
だから、よく「曲を作りませんか」って
言われるんですけど、
わたしはいまだ一切興味を持てないんです。
たぶんそういった素晴らしいブラジルの曲を歌うことで
満足してるんですよね。
歌詞の部分も、とても普遍的なことが歌われてますから。
わたし、自分の気持ちを表すことに
興味がないんですよ。
“主張”じゃなくて“表現”なの。
わたしの気持ちを聞いてほしい、というのがないから、
自分で曲を作ることに興味がなくて。 |