myjoao4


myjoao_midashi4

ーー

慶子さんが27歳の転機をきっかけに意識的になった
「自分の人生で大切なものはなにか」ということを、
東日本大震災をきっかけに見つめ直したひとも
少なくないと思うんです。
慶子さんは当時、南相馬にお住まいだったのですよね。

吉田

あの震災はわたしにとっても、
やっぱりすごく大きかったですね。
で、ひとことで言うと、
「好きなことをやって生きていこう」と、
さらに強く思うようになりました。

ーー

はい。

吉田

わたしの家は原発から25kmくらいの
緊急時避難準備区域だったので、
すぐに避難したんです。
それで東京に来たんですけど、
やっぱりしんどかったし、
音楽を聴く気にはとてもなれなかったんですね。

ーー

ジョアンも?

吉田

ジョアンも聴けなかった。
だからそんな中での「音楽で癒そう」という空気にも
抵抗感があったんです。
わたしのところにも依頼があったんですよ。
「復興や応援のライブをやりませんか」って。
わたしが避難した立場というのもあって、
「歌手の吉田慶子もこんなにがんばってますよ、
震災にも負けずに歌い続けてますよ」という部分を
クローズアップするような内容のお話がいくつかあって。

ーー

ええ。

吉田

わたしの歌のスタイルはたしかに静かだし、
「癒しの・・・」というのが似合いそうというのも
あったんでしょうね。
「童謡を歌いませんか」というお話もあった。
でも、わたし、そのときはイヤだったんです。
大好きなジョアンの影響を受けて
わたしがやってきたことは、
うんと小さくて、こじんまりとしてて、
けっして華やかなものじゃないけど、
それが好きで好きで、地震の前から
ずーっと変わらずにやってきたことなんですね。
にもかかわわらず、
「震災にも負けずに」というかたちで出てしまったら、
わたしがいちばん大切にしてきたものを
わかってもらえないんじゃないか・・・って。
「名前を知ってもらうきっかけになるよ」と
言うひともいたけど、
そういう色がついて見られるのがどうしてもイヤだった。
それで結局、お話は全部ことわって、
なんにもやらなかったんです。
このへんの気持ちは
なかなかうまく言えないんだけど・・・。
「ポルトガル語じゃなく日本語の歌で励ましを」と
言われてもなぁって。

ーー

そこじゃないんだよなぁと。

吉田

やっぱり大事にしたかったんだと思う。
自分のやってきたことを。
小さくてささやかなものでも、
わたしにはすごく大事なものだから。
そんなこともあって、地震のあとは、
自分がイヤなことはやらないという気持ちが
強くなりましたね。
それまでは我慢してやってた仕事も
けっこうあったんですよ。
息子が大学生になってからは
大学の費用を稼がなくちゃというのもあったし。
うーん・・・と思う仕事もやった。
でも今は息子も社会人になったわけだし、
好きなことをやっていこうと。

keicoy5

吉田慶子、笹子重治。ライブがいちばん楽しい時間。
photo by tanakasan

ーー

息子さんにも「好きなことやりなさい」と
言ってるんでしたよね。
フリーターでもOKだよって。

吉田

今も言ってますよ。
会社、辞めていいんだよって(笑)。

ーー

慶子さん自身の人生経験を踏まえて?

吉田

わたしが彼の年齢だったころは
自分がなにをしたいのかわからなかったから、
親にすすめられるがままに就職も決めちゃったけど、
今は、やりたいことがあるならやればいいんだって
すごく思うんです。
でも彼はわたしを見て
こんなふわふわした大人じゃダメだと思ってるのか、
「会社員になる」って、なっちゃった(笑)。
たぶん真面目な暮らしを送ることが
彼の安心につながってるんでしょうね。
わたしはそこに安心を感じないんですけど。
でも会社に入って1年を過ぎたころ、
「やっぱり好きなことやろうかな」って電話をくれて。
「やりなよ、やりなよ!」って言ったんです(笑)

<次回に続きます>


myjoao_sound4

myjoao_mae myjoao_top myjoao_tsugi

myjoao_home2