山本雅昭(やまもと・まさあき)

1989年アメリカ、カリフォルニア州生まれ。獨協大学英語学科卒業。
3.11以降、放射能の危険性を母親に気付かされ、原発の恐ろしさを初めて知る。
大学を休学して一度アメリカに避難したが、いてもたってもいられず日本に帰国。
人生で初めてのデモに参加し、そこで出会った若者とチームを結成。
「全国若者会議」というイベントをスタートさせる。
2011年9月11日から10日間のハンガーストライキを経産省前で行い、
全国各地で上映されたドキュメンタリー映画『3.11 日常』に
小出裕章氏、中川敬氏(ソウル・フラワー・ユニオン)らと並び、出演。
その後、「原発都民投票」にスタッフとして携わり、
現在は社会問題にかかわる様々な活動に参加しながら
「アクティビスト」という生き方を広く学び中。
夢は学校を作ること。
将来を想うハンガーストライキ






























「僕らの世代が変わらなければ意味がない」

───山本雅昭 

2012年5月11日インタビュー:
津田大介の「メディアの現場」2012.8.8.+8.15.(vol.42)掲載より──


2011の9月11日から9月20日までの10日間、
東京・霞ヶ関前の経済産業省前でおこなわれた
19歳から22歳の若者4人による「将来を想うハンガーストライキ」。
インディペンデント系を中心にさまざまなメディアが
取材やUstream中継をおこなっていたので、
ご存じの方も多いことでしょう。
彼らは塩と水だけで240時間を過ごし、最終日には経産省の職員と対面。
原子力発電所の新規建設計画の中止や、既存原発の廃炉、
自然エネルギーへの転換などを求める請願書を直接手渡すという
大役も果たしました。
その詳細については彼らのホームページを参照していただくとして、
今回はハンストのメンバーであり、
東京都の「原発都民投票条例」の制定を求める運動にも携わっている
23歳の大学生、山本雅昭さんに話をうかがいました。
3.11まで社会問題にはほとんど関心を払ってこなかったという彼が、
なぜハンストという思い切ったアクションを起こし、
なぜ脱原発という大きな目標を掲げるに至ったのか。
これからの日本を背負って立つ若者の熱い思いに、
まずはじっくりと耳を傾けてください。



────

私が山本君を知ったのは2011年9月におこなわれた
「将来を想うハンガーストライキ」でしたが、
以前から社会問題や環境問題に関心があったんですか?

山本

僕が最初にそういうことを考えたのは
「不都合な真実」という映画を観た時です。
温暖化が進むと地球はこうなってしまうんだと。

────

アル・ゴア元アメリカ合衆国副大統領の
講演のもようを中心に制作された、
地球の温暖化問題に警鐘を鳴らすドキュメンタリー映画ですね。

山本

そうです。
僕は高校生で、漠然と「これはヤバイな」と思いました。
でも、それはカタカナで書く「ヤバイ」という感覚で、
真の意味ではどうヤバイのかわかっていなかったと思います。
それでも、そういうことを本気で考えなきゃいけない時代が
来るんだろうなと思い始めたのは、
その頃でした。

────

以降、日常生活のなかで「そういうこと」を
どのくらい考えるようになりましたか?

山本

そうは言っても1割程度だと思います。
9割は部活や勉強、友人関係、恋愛、
自分の将来のことを考えてましたね。

────

そんななかでの3.11だったわけですね。

山本

そうです。

────

3月11日の14時46分、
東日本大震災が起きた時はなにをしていましたか?

山本

友人と大学近くの中華料理屋にいました。
いきなりバーッと揺れて、
2回目の揺れでテーブルの下に隠れて。
すぐに大学に戻って、
グラウンドの真ん中が一番安全だろうと避難したら、
案の定みんなもグラウンドにいたんですね。
その後、構内の比較的新しい建物に避難したんですけど、
なにが起こったのかがわかったのは
もう少し時間が経ってからです。
たぶんテレビ中継だと思うんですけど、
大講堂のデカいスクリーンに宮城のどこかの映像が出ていて、
街が燃えているのが映ってたんです。
絶句しました。
これはやばいなと。
すぐに東北の友人たちに電話しました。

────

福島第一原子力発電所に思いが至ったのは?

山本

翌日か翌々日だったと思います。
僕の母親が放射能にすごく敏感に反応していて。
彼女が子どもの頃、
アメリカとソ連の原水爆の実験があったそうなんですね。
そんな時に雨のなかで遊んでいて、
家に帰ってきたところを父親に
「どこに行ってたんだ!」と叱られ、
口のなかを石けんでぐわーっと洗わされたそうなんです。
それがきっかけで、
放射能というのは身体に害のあるものだというのを知っていて、
それなりに知識があったんです。
で、2011年の3月の時も
「スポーツ新聞に放射能や原発のことが
たくさん書かれているから読みなさい」
と言ってきて。
僕はなんのことかわからないから、
適当に「はいはい」と流していたんですけど、
何号機だったかが爆発した後には
「避難する」とまで言ってきた。
でも、僕のまわりはちょうど卒業旅行だとか
楽しいことが盛りだくさんだったから、
「俺は無理だよ、先にひとりで避難しなよ」と言って・・・・・・。

────

お母さんは、どこに避難しようと?

山本

アメリカです。
ものすごくケンカしましたね。
「なぜ避難しなくちゃならないの?」って。
意味がわからなかった。
ただ、その時の母親の様子がいつもと全然違っていたんです。
見たことのない表情だった。
それで、そんなに言うなら避難しようと決めて、
日本を発つ前に初めて
インターネットで原発の事故について調べたんですね。
最初に見たのが広瀬隆さんの記事で、
その次に見たのが原子炉の格納容器を設計した
後藤政志さんが出ている動画で。
原子力資料情報室からの中継で、
その緊迫感に衝撃を受けたんです。
理屈じゃなく、
これは本当にやばいことが起きているんだというのが
その時にはっきりとわかりました。

────

原発というものを意識したのは、その時が初めてですか?

山本

実は大学のゼミの先輩からゼミのメーリングリストを通じて
「上関原発の立地の問題で建設反対の署名を集めてます、
ご協力をお願いします」というのをもらったことがあるんです。
切実な思いが書かれていて、
これは署名しなきゃいけない・・・・・・と思ったまま
期限を過ぎてしまって。
そういうことはありましたね。

────

ではやはり、山本君を原発や放射能の問題に結びつけたのは
お母さんの存在が大きかったのですね。

山本

そうですね。
もっと詳しく言うと、
僕が小学1年生の時に母親と父親が離婚をして
ものすごくつらかった記憶があるんです。
それ以来、僕は自分の子どもには
絶対に同じような思いをさせたくないという気持ちを
強く持つようになって・・・・・・。
言い換えると、
心のなかにつねに自分の子どもを抱くようになったんです。

────

「こういう親になりたい」と考えるようになった?

山本

そうです。
こういう父親になりたいという
父親像みたいなものを強く持つようになったし、
「子どもができたら、どんなふうに育てようかな」と考えたり。
未来の我が子が、つねに僕のなかにいるんです。
だから皮肉な話ですけど、
僕がそう考えるようになったきっかけを作った母親から
放射能について、
「あなたの子どもの命に関わる問題なのよ」と言われた時、
パッとリンクしてしまって。
子どもにつらい思いをさせるわけにはいかない、
これは動かなきゃと思ったんですよね。

────

山本君と同世代の人たちが放射能の問題を考える時に、
我が子の将来にまで思いめぐらせる人は多くないでしょうね。

山本

みんながみんな自分の子どものことまで
考えているわけじゃないんだというのは、
後になってわかりました。

────

アメリカにはどのくらい避難をしていたんですか。

山本

3週間くらいです。
僕はカリフォルニア生まれなので、
カリフォルニアに住んでいる母の友人のアパートに
居候させてもらったんです。
だから故郷に帰ったような安心感もあったんですけど、
一方では魂が半分日本に残ったままで・・・・・・。
そもそも本意ではない避難だったのもあるし、
事故について調べれば調べるほど
日本や友人のことが心配になって、
耐えられなくなったんです。
それで3週間で戻って来ちゃったんですけど。

────

山本君が避難していたちょうどその頃、
アメリカをはじめ多くの国が大使館を通じて、
東日本や日本そのものからの退避を
自国民に勧告していたわけですが、
アメリカでの報道、福島第一の事故に対する見方は
どのようなものでしたか?

山本

テレビではそんなに報道されていなかった気がするんですけど、
向こうの人に東京と福島の距離を言ったら
みんなその近さにびっくりしていて。
自分たちなら絶対に避難すると言ってましたね。

────

ことの重大性を認識して、帰国後の生活は変わりましたか?

山本

雨降りの日は完全な防護をして、
帰宅したらレインコートは外で脱ぐようにしてました。
雨がちょっとでも口に入ったら
死ぬかもしれないというくらいの気持ちで。
つねにマスクもしてたし。
戦慄というか危機感というか・・・・・・。
政府に対してなんとも言えない怒りもあって、
子どもたちの年間被曝量の上限を20mSvに引き上げた時は
人殺しじゃないかと思いました。
自分が抱いている気持ちを
どう解消すればいいのかわからなかったし、
とにかく仲間が欲しかった。
この思いを共有できる同世代の人が欲しかったですね。

────

同じ温度で話せる友人がいなかった?

藤波

友人の兄弟に赤ちゃんがいたので、放射能の話をしたんですよ。
本当に危険なんだよって。
でも、友人のほうは不安を煽るようなことを
言われたくなかったようで、
僕の言葉でつらい思いをさせてしまったんです。
とても反省しました。
僕自身まだ中途半端だったんです。
知識も考えも。
誰かになにかを話して反論されたとしても、
なにも答えられない。
すごく弱かったんですよ。
だからそれ以来、友人にあまり話せなくなりました。
つらい思いをさせたくなかったし、
まわりの人たちに嫌われたくなかったし、
ヒステリックな男だと思われるのも怖かった。
そんなこともあって、
思いを共有できる人と一緒に動きたいなと、
帰国してから広島に行ったんです。
さっき話したゼミの先輩に電話をして、
「動きたいんですけど、どうしたらいいですか?」と訊いたら、
「広島でデモがあるから行ってみれば」と言われて。
広島と言えば原爆の被災地だし、
どうしても行かなきゃいけない気がしてきて迷わず行きました。
そこで一緒にハンガーストライキをやることになる
米原幹太という少年に出会ったんです。
幹太との出会いが大きかったですね。
そこから一気に輪が広がりました。

────

幹太君は、山本君より年下ですね。

山本

その時、20歳だったかな。
そんな若いヤツがアクションを起こしてるのかって驚きました。
言ってることもすごくしっかりしてるし、
中国電力の人たちとも堂々とわたりあって
「フェアに行こうぜ!」みたいなことを言ってて。
びっくりしましたね。
で、幹太が田ノ浦に行くからと声かけてくれたので
一緒に上関の原発の立地場所に行ったりもして。
幹太はすごく真っ直ぐで、僕と正反対なんですよ。
体制的なものとか世間で常識とされている既存のものに
疑いを持ったり、
おかしいことをおかしいと感じることのできる
感受性を持ってる。
僕はずっとレールの上を歩いてきて、
就活もして、内定ももらってた。
その後で教師を目指すことに決めて、
初めてレールを踏み外したんですけど、
それまではずっとレールの上を走ってた人間だったんです。

対立ではなく「対話」をしたい

────

その後、幹太君を中心に
若者たちが日本の未来を共に考える
「全国若者会議」というイベントを立ち上げ、
9月に原子力発電からの転換や子どもたちの安全な将来を願う
ハンガーストライキを行ったわけですね。
その思いは「将来を想うハンガーストライキ」という
テーマから伝わってきますが、同時に、
メンバー4人それぞれが自分なりの意図や温度を
持っていたんじゃないかと思うんです。
山本君がハンストに参加しようと決めたのは
どういう気持ちからでしたか?

山本

ちょっと遡るんですけど、
帰国してすぐに行った広島のデモで知り合った人に
「東京に住んでいる人で、
なにかアクションを起こしてる人はいませんか」と訊いて、
紹介された人たちがいるんです。
その人たちに連絡をとってみたところ、
代を重ねながら長く活動している学生たちの団体で、
その昔は学生運動などもしていたようなんですね。
ちょっとなじみづらさは感じながらも
イベントがあれば呼んでもらったりしていて。

そんな中で、ある時、反原発をテーマに
学生たちが100人規模で集まるイベントがあるというので
出向いたんですけど、
かなり独特の雰囲気で。
ひとことで言うと全体主義というか、
一致団結して政府を打倒しよう、体制的なことに反発しよう、
という内容だったんです。
なんだかおかしな空間にいるなあ・・・・・・と感じて。
自分たちの思いを確かめて
怒りの灯火を絶やさないようにと
がんばっているだけのように見えたし、
僕としては、怒りを持つのはいいけれど、
それを燃え上がらせて連帯しようというやり方には
どうしても違和感を覚えたんですよね。
それで、参加者がひとりずつ意見を述べる場面があったので、
ハイと手を挙げて、
「僕はみなさんとは違う方法で
原発に反対していきたいと思います。
明日からハンガーストライキをやります」
って、宣言しちゃったんです。

────

なるほど、そのイベントは
ハンガーストライキの前日だったんですね。

山本

前日でした。

────

そして、勢いでハンストへの参加を宣言してしまった。

山本

勢いでした。
でも、ああいうやり方では日本はなにも変わらないと思って。
それまではハンストへの参加はちょっと迷ってたんですけど、
このイベントに参加したのがきっかけになって、
そのままメンバーのところに行って、
俺もやらせてくださいって言ったんです。
ほかの3人やスタッフのみんなは
何週間も前から準備をしてきていたから、
「えっ!?」という感じで、
特に幹太はすごく真っ直ぐなタイプだから
「なんでいまなの?」って訊いてきたりもしたんですけど、
俺はとにかくやりたいんだとお願いして入れてもらったんです。

────

前日に参加したイベントとハンガーストライキとは
なにが違うんでしょう?

山本

あのイベントに参加していた人たちは
政府や体制と「対立」しているんです。
でも僕は「対話」をしたい。
仲間を集めて連帯して・・・・・・って、
そんなんじゃなく、
僕は対話をしたいんです。
仲間じゃなくてもいい。
原発に反対でも賛成でも、どちらでもいい。
対立を軸に原発に反対する人たちのなかには
原発賛成派は人間じゃないみたいな態度をとる人もいるけど、
みんないろいろな思いがあると思うんです。
だから僕はまず、話をしたいんですよね。

────

その第一歩として、
携帯電話のアドレス帳に登録されている全員に
「ハンストをやります」という内容のメールを
送ったそうですね。

山本

そのとおりです。
あれが人生の転機でした。

────

怖くはなかったですか?

山本

ものすごく怖かったです。
でも、やらなきゃいけないと思いました。
というのも、ハンストをやりながらも
僕のなかにまだモヤモヤしたものがあったんです。
僕自身かなりの覚悟で臨んだことだし、
たくさんの人が支えてくれて、
応援に来てくれる人たちは口々に
「ありがとう、ありがとう」って言ってくれる・・・・・・
にも関わらず、自分自身が、
まだどこかハンパだなあと感じていたんですね。

────

メールを送ったのはハンスト中ですか。

山本

そうなんです。
アドレス帳の全員に一斉送信で
500人くらいに送ったと思いますね。
「原発問題がこうなっていて、政府はこう言っています。
僕はそれに対しておかしいと思っていて、
水と塩だけでハンガーストライキをやっています。
なにかを感じてくれたらぜひ会いに来てほしいし、
来られなくても賛同者になってほしいです、
ホームページを見てくれるだけでもいいです」
というようなことを
部活のOBだとか、
普通なら送りづらい人にも送りました。
結局メールを送るのに
夜中の2時くらいまでかかっちゃって・・・・・・。
そんな時間に送って申し訳なかったなって
後から気づいたんですけど。

────

反応はどうでしたか?
離れていった人はいませんでしたか?

山本

離れていった人というのはわからないんですよ。
連絡が来ないから。
逆に、それまでは「死ぬ時は死ぬんだから、
そんなこと考えたってしょうがない」と言っていた友人から
「おまえがこんなに本気でやってるなんて感動した」
というメールをもらったり、
夕飯をおごってくれながら
「山ちゃん、がんばって原発止めてよ」と言ってくれる
友人もいたりして嬉しかったですね。

────

少し意地悪な質問ですが、
「がんばって原発止めてよ」という言葉を
他力本願のようには感じませんか?

山本

僕は、「俺たちは動けないけど、
一生懸命に動いてる活動家を支援するのが
俺の反原発運動なんだ」
というスタンスもあると思うんですよね。
僕のまわりには社会人になりたての人も多くて、
見ているとすごく大変そうなんです。
まだ仕事に慣れてないし、
プライベートをそういう活動に割くのも難しい。
だから応援してくれる言葉や眼差しは、
僕は純粋に嬉しいです。

────

ハンガーストライキをやってみて
どんなことを感じましたか?

山本

自分が反対だと思うことは
素直に「反対だ」と言っていいんだなと。
あと、気持ちが以前よりピュアになれた気がします。
思ったことを素直に言うとか、
おかしいことをおかしいと言えるピュアさが
養われたのかもしれないですね。
とにかく、なにかがすっきりしたのは間違いないです。

住民投票は、原発問題を真剣に考えるためのツール

────

ハンガーストライキの後は
「全国若者会議」のイベントなどもやりつつ、
11月からは東京都の
「原発都民投票条例」の制定を求める運動に関わりましたね。

山本

大阪市の「原発市民投票」に友人が関わっていたのが
きっかけなんですけど、
僕はもともと原発の是非を問う
国民投票の動きにも賛同していて、
そちらの署名を集めたりもしていたんですね。
それで、都民投票という動きもあるんだと知って
手伝うことになって。
僕としては絶対に実現させたいことだし、
ハンガーストライキをやってみて
本気で行動することのすごさもわかったし、
僕が絶対に盛り上げていくんだという気持ちで参加しました。
実際にやってみたら、
メールの対応や請求代表人のシフトの作成、メルマガの配信と
イチからやらなきゃいけないことばかりで、
すごく大変だったんですけどね。

────

原発の賛否を国民の多数決で決める
国民/住民投票という方法については、
特に原発に反対する人たちのなかに
「負けたらどうするんだ」という懸念もあります。
そのことについてはどう思いますか?

山本

僕は絶対に勝てるという希望を持っていたから
この運動に賛同したんですけど、
実際に活動していくなかで、結果よりも
「考える」というプロセスが大事だと思うようになったんです。
結果がどうなろうが、
自分たちで考えて決めたことなら
自分たちで責任を負えばいいんじゃないかって。
たとえば1980年におこなわれた
スウェーデンの原発に関する国民投票では、
投票をする選択肢が3つ・・・・・・
推進系がひとつ、反対系がふたつあったんですね。
で、全体で見ると反対の票が多かったにも関わらず、
票がふたつの選択肢の間で割れてしまったことから、
推進系、つまり原発に賛成する票が多いと
見なされてしまったんです。
ただ、反対票も意外と多かったことを受けて、
原発に反対する企業や党が立ち上がったり、
国民の意識が変わったり、
それまではエネルギーのことなど考えもしなかった
18歳の女の子がこの国民投票を経験して、
後に「持続可能なスウェーデン協会」の理事を
務めるようになったりしてるんですね。
レーナ・リンダルさんという方なんですけど。
そういう話を聞いても、
国民投票というムーブメントは
とても有意義なものだと思うんです。

────

それでも、いまの日本の状況にあって
「もし負けたら」と考えると怖くありませんか?
実際、2011年におこなわれた地方の首長選挙においても、
3.11から1カ月足らずにも関わらず、
原発推進派の候補者が当選した例もありました。
物事の是非を自分たちで決め、
その結果の責任を自分たちで負うことはとても重要ですが、
もっと時間をかけて議論を重ね、
意識を高めてからにしようという意見もありますよね。

山本

僕はとにかく住民投票を実施することが重要だと思うんです。
やるしかないんですよ。
やっていくなかでどんどん意見を積み重ねていって、
意識を変えていくしかないと僕は思うんですね。
こんなに人口の多い国にも関わらず、
日本で国民投票は一度もおこなわれたことがない。
だからまずは住民投票をやって、
最初のうちは投票する人が少なかったり
無責任な気持ちで投票する人もいたりするかもしれないけど、
そこが第一歩でいいと思うんです。
意識を高めてから投票に向けて動き出そうというやり方は、
僕にとっては道のりが長すぎると感じるんです。

────

第一歩といっても、住民投票によって出された結論は
そう簡単には覆せないですよね?

山本

そういう意見には希望を感じないんですよ。
そもそも、なぜ「そう簡単には覆せない」と
決めてしまうのかと。
またやればいいじゃないですか。

────

たとえば、5年おき、10年おきに
やってもいいじゃないかと?

山本

全然いいと思います。
何回でもやればいいと思う。
極論過ぎる人が多いと思うんです。
いったん結論が出たら
それを二度と変えられないというのは、
おかしいと思うんです。

────

結論に納得できないなら、
またイチから運動を起こすなり署名を集めるなりして、
再び投票実施まで漕ぎ着けばいいということですか?

山本

そうです。
そうやって何度でも選び直していけばいいと思う。
それが自分たちで考えるということだと思います。

────

なるほど、住民投票について
そこまで柔軟に考えたことはありませんでした。
ではもうひとつ、
「意識を高めてから投票に向けて動き出そうというのは
道のりが長すぎる」というのは、どういう意味ですか?

山本

人って、答案用紙がないと真剣に考えないものだと
僕は思うんです。
ここに答えを書いてくださいという紙がなかったら書かないし、
書かなくていいなら真剣に考えないんじゃないかって。
つまり本気で考えるためには、
自分たちで答えを出さなくちゃいけない場を
作る必要があるなと。
それが、いまの話でいうと国民投票だと思うんですね。
興味や関心以上の本当の意味で
「考えていく」というムーブメントを起こしたいなら
国民投票をやるべきというのが、僕の意見なんです。

────

人間は追い込まれないと真剣に考えないと。

山本

そうそう。
そして、自分の行為によって何かが変わったという
手応えも重要だと思うんですよね。
それと、これは僕の勘でしかないですけど、
原発に対して反対の気持ちを持っている人のほうが
多いと思うんですよ。
みんな耳のところに壁のようなものがあるんだけど、
その壁が壊れて原発問題に耳を傾けられるようにさえなれば、
きっと反対するようになる・・・・・・ある友人が
そんなふうに言ってたんですね。
実際に僕のまわりでも、
最初は僕の意見に否定的だった人たちが
だんだん耳を貸してくれるようになって、
「やっぱり原発って要らないな」と
言ってくれるようになったりもしていて。
もちろんそれなりの時間はかかります。
だからこそ住民投票も一度きりと言わず、
みんなが納得するまで何度でもやればいいと思うし、
それが当たり前の国民意識になればいいと思うんです。

日本も早く真の意味での先進国に

────

これまでお話をうかがってきて、
山本君にとって対話や議論がとても重要なのだとわかりました。
ただ、日本人はそういったことが苦手ですよね。
特に政治の話題は、「政治と宗教の話はするな」という
標語めいたものがあるくらい
どこかタブー視されてきましたから、
いきなり会話のなかに持ち込むと
冷静に意見交換するのがなかなか難しい。
そういった大人の在り方が結果として、
若い世代が社会問題に関心を持つのを妨げていると思うんですが
いかがですか?

山本

興味のない若者は多いでしょうね。
だから2011年の3月11日以降、
僕が原発や政治のことを口にするようになって、
何度も「政治家になればいいじゃん」と言われました。
「僕は政治家じゃなく教師になりたいし、
ゆくゆくは学校を作りたいんだ」と言うんですけど、
政治や国のことを語ると
「政治家になれば」と言われるんですね。
でもそれって、ちょっと料理が好きだというだけで
「シェフになれば」と言うのと同じくらい
妙なことだと思うんですよ。
つまり、それだけ政治というものが
僕ら世代の生活と結びついていないということだと思うし、
じゃあどうすれば結びつくかというと、
議論をする余地が必要なんだと思います。
で、その議論をする余地というのがなにかというと、
さっきも言った、
自分で答えを出す場面があるということだと思うんですね。
実際、授業でそういった意見を求められたり
議論をしたりする場になると、
みんな意外と話すんですよ。
世の中のことを、本当は気にしてるし考えてる。
でも生活のなかでは議論の必要を感じないから、
俺には関係のないことだと思っちゃうんです。

────

本来、まともな議論を展開するには
それなりの技術が必要ですから、
若いうちに経験を重ねるのはとても大切なことですよね。
大人になってから付け焼き刃でやろうと思っても、
なかなか大変です。

山本

討論系のテレビ番組を見ていても、
なにを言ってるのかわからないことも多いですよね。
言ってることが支離滅裂だったり、話に生産性がない。
若い世代が政治的なことに関心を持てないのは
そういう理由もあるかもしれないですね。
こういう言い方はあまり好きじゃないんですけど、
もうちょっと論理的な思考で対話してくれれば
テレビを見る側の理解も深まるんじゃないかと思うことは
あります。

────

そういった議論下手や、
国民の政治に対する苦手意識も要因のひとつかもしれませんが、
福島第一原子力発電所の事故を受けて、
ドイツやスイス、イタリアが次々と脱原発へと舵を切り、
原発大国のフランスでさえも大統領選において
脱原発依存が討議事項に上がるなか、
当事国である日本の今後は不透明なままです。
「変われない日本」と言われたりもしますが、
この言葉をどう受け取りますか?

山本

うーん、僕は、日本は変わってきていると思いますよ。
だって僕ら日本人はある意味、もともと劣等生なんですから。

────

劣等生?

山本

ほかの国の人はおかしいと思うことに対して
みんなすぐに「おかしい」と言うし、動く。
自分の素直な思いに従って行動するという習慣が
養われてるけど、
日本はそうじゃないですよね。
物事をストレートに言うんじゃなく、
本当に言いたいことを言葉のなかにさりげなく含ませたり。
奥ゆかしさだったりを大切にする文化だから。
それはそれでいい文化だとは思います。
ただ、いざがんばって行動しよう、意見しようとすると、
感情的になり過ぎたり滅茶苦茶になっちゃう。
つまりディベートという分野において
僕らは劣等生だと思うんです。
でも3.11を機に、劣等生なりにがんばってる、
変わってきてると思うんですよ。
原発の都民投票の署名だって、
32万3076筆も集まったんですよ。
当初は原発反対派の人からも
「無理だ」って散々言われていたのに。
これも変化の表れだと思いますね。

────

大人たちに思うこと、期待することはありますか?

山本

大人を見ていて思うのは、希望がないなって。
すごく保守的で、楽しくないんです。
一番それを感じたのはやっぱり原発の国民投票の件で、
反対派が負けたらどうするんだとか、
今井一さんは実は原発賛成派で僕らを騙してるんだとか、
あの人は憲法を変えるのが狙いなんだとか、
いろんな大人にいろんなことを言われたんですね。
でも僕にしてみれば今井さんが原発に賛成か反対かというのは
重要ではなくて、
議論を出して答えを出すというのをやりたいわけだし、
憲法改正にまで事が及ぶなら、
じゃあ憲法改正の是非を問う国民投票もやろうよと
思うわけです。
大人は、既存の、
いま現在良しとされている物事が変えられてしまうのを
すごく怖がっているんだなと感じたし、
そういう態度にはやっぱり希望を感じないんです。
だから大人には、若い人のやることを応援してほしい。
僕らががんばるので、僕らに投資をしてほしいですね。
とは言いつつ、僕のまわりには
希望のある大人が多かったりもするから、
一概に若い人には希望があって大人には希望がないとは
言いきれないのかもしれないですけど。
ただ、大人が変化したところで、
僕らの世代が変わらなければ意味がないとは思うんですよ。
だから大人に期待をするし ないということに力を注ぐよりも、
自分たちに力を注ぎたい・・・・・・という意味で、
大人に対して思うことはそんなにないです。

────

ネガティブな意味には受け取らないでおきます。

山本

いや、本当に、ネガティブな意味ではないです。
結局僕は、勝手に原発が止められてしまうことが
一番いやなんですよ。
どこかの親分が「原発は危ないから」と
僕の知らないうちに原発を止めてしまって、
その人が神様的な存在になっている・・・・・・。
これはあくまで例え話ですけど、
そういうのがすごくいやなんです。
僕ら全員で考えて、決めて、止めるという流れに
持っていきたい。
もちろんそこには葛藤もあるんです。
いまこの瞬間に福島第一付近でとんでもない地震が起きて
4号機の燃料プールが壊れたら終わりだし、
秒読みの状況でもある。
それでも、誰かに勝手に止めてほしくない、
みんなで止めたいという思いが強くて。
そして、それを担っていくのは
やっぱり若い人たちだと思うんです。

────

山本君にとっては脱原発もさることながら、
自らの責任において社会を構築していくという、
真の意味での「民主」主義を形にしていくことのほうが
重要のようですね。

山本

もちろん脱原発もすごく達成したいことだし、
いまの僕の軸は脱原発なんですけどね。
原発はもう古いエネルギーだから、
さっさと新しいエネルギーに変えて、
日本も早く先進国になったら面白いなあと思います。

────

先進国になったら。

山本

僕は日本を先進国とはあまり思っていないので・・・・・・。
でも世界的に見れば先進国なんですよね、きっと。

────

一般的に先進国というのは、
政治や経済、文化などが国際水準からみて進んでいる、
いわゆる「豊かな国」を指すのでしょうけど、
「進んでいる」というのはどういうことなのか、
「豊かさ」とはなんなのかというのは、
3.11を境に、より多くの日本人が考えるようになったと
思います。

山本

そうですよね。
だから本当の意味での先進国になるためにも、
より良い社会を作るためにも、
まずはそれぞれが向き合って、
気持ちのいい対話をするところから始めたいと思ってます。