井上鑑(いのうえ・あきら)

音楽家。
1953年、東京都出身。
チェロ奏者の父、合唱指導者の母を持ち、
自身も大学在学中からCM音楽を初めとする作編曲、
キーボード演奏の活動を始める。
アレンジャー/プロデューサーとして大滝詠一、福山雅治、寺尾聰、
稲垣潤一をはじめ多くのアーティストの作品を手掛け、
自身もソロ・ワークスを展開。
舞踏、映像など音楽以外の創作活動への参加も数多く、
ピーター・ガブリエルやサイモン・フィリップスといった
海外のアーティストとの親交も。
2013年より「連歌・鳥の歌」プロジェクトをプロデュース。
国内外で幅広い音楽活動を展開している。

Portrait by Kazumi Kurigami

オフィシャルサイト






























「人間に対する信頼感を『希望』と呼びたい」

───井上鑑 

2012年9月7日インタビュー:
津田大介の「メディアの現場」2012.10.17.(vol.50)掲載より──


音楽家の井上鑑さんが核の問題をテーマにした年に1度の
「No Nukes Gig」というコンサートに関わっていることを知ったのは、
昨年の東日本大震災のあとでした。
その後も、共通の知人が携わっているNo Nukes的なイベントで
演奏を聴く機会はあったのですが、
井上さんが「3.11」について公に発言なさっているとか、
反原発的な活動を加速されているといった話は一切耳にしませんでした。
3.11の前も後も変わることなく粛々と、淡々と──。
そのことに私はむしろ、井上さんの揺るぎない信念を感じ、
いまのお気持ちをきちんと言葉でうかがいたいと思いました。
ご両親や通っていた学校の影響もあって、若いころから
核をはじめとするさまざまな社会問題に自覚的だったという井上さんの言葉は
非常に現実的な示唆に富んでいます。
そして現実的であることは、大きな転換期を迎えているこの社会と向き合い、
より良い変化をもたらしたいと願う私たちにとって、とても重要です。
3.11以降、頻繁に耳にするようになった
「被災者意識」という言葉について触れ、
「当事者の実感からにじみ出る言葉に比べたら
ジョン・レノンのひとことであってもかなわない」、
「音楽家であると同時に社会の一員であるという自覚が重要だ」
と言いきる井上さん。
原発問題にとどまらない広く深い視野は、
社会に新しい風を吹かせたいと願う人々の
ひとつのたしかな指標となるのではないでしょうか。



────

2011年の3月11日は東京にいらしたんですか。

井上

いなかったんですよ。
ちょうど福山雅治さんのコンサートツアーで広島にいたんです。
広島は震度1にも満たないくらいで、
地震にはほとんど誰も気がついていませんでしたね。
テレビでニュースを見たり家族からメールが来たりして
なにが起きたかわかったという状況でした。
ただ、偶然というか皮肉にもというか、
その日の午前中に広島の現代美術館で観ていた
サイモン・スターリングの「仮面劇(マスカレード)のための
プロジェクト(ヒロシマ)」という展覧会が、
核や原爆に関連するものだったんです。
もちろん広島で開催されているものだから
驚くべきことではないわけですが。

────

聞きかじりですが、「仮面劇〜」は、
彫刻家ヘンリー・ムーアの作品
「アトム・ピース」の背後にある物語や連関する人々を、
日本の「能」の演目のひとつである
「烏帽子折」の登場人物に重ね合わせ、
インスタレーションや映像で表現したものだそうですね。

井上

最初はそれほど面白いと思っていなかったんですよ。
意味合いがよくわからないというか、
お能が好きなイギリス人の彫刻家の作品というくらいの感じで、
お能という表現自体が持っている
無常観のようなものとつながる世界観・・・・・・
生死が同時進行するというようなところを、
被爆や広島とリンクさせているのかな、と。
ただ、能のお面一つひとつに名前がつけられていて、
そのなかに、世界最初の原子炉を作った
核物理学者のエンリコ・フェルミや、
ウラン鉱脈を買い占めて富をなした
ジョセフ・ハーシュホーンという人を見つけたんです。
ああ、これはかなり厳しいメッセージを持った
作品なんだなということがそこでわかって。
で、そう思っているところに家族からメールが来て、
地震が起きたことを知り、
電話をしようとしたらもう繋がらない・・・・・・。
そんな状況でしたね。

────

なにかシンクロニシティ的なものを感じますね。

井上

ええ。
きっとこういうことは
誰にとってもあることだとは思うんですね。
あの日も、ふだんは行かない海岸にたまたま行っていたり、
いったんは避難したのに誰かをさがしに引き返したことで
被害に遭ってしまったりという人も
たくさんいたわけじゃないですか。
だから突然の、一瞬の出来事のようでいて、
それぞれにとっては意外と長い体験だったんじゃないかと
思ったんです。
それと同時に、こういう展覧会を広島でやっていても、
会場はがらんとして誰もいなかった。
オープニングの時には大勢が観に来たのかもしれないけど、
やっぱりいろいろと難しいよね・・・・・・と。
展示されている内容よりも、
そういった虚しさを強じながら観ていたことが
とても印象的だったんです。

────

福山さんのコンサートツアーはどうなったのですか。

井上

広島ではたしか3日間の公演予定で、
3月11日は中日(なかび)だったんですけど、
結局は中止になりました。
スタッフを交えてミーティングを重ね、
やるのはちょっと無理だろうという話になって。
ただ、地震や津波や原発事故というものが
具体的にどういう状況なのかというのは、
よくわかっていませんでしたね。

────

それがわかってきたのはいつごろでしたか。

井上

現実味を帯びたのは、公演がなくなって、
さて東京に戻るかどうするかという話が
出てきてからだったと思います。
僕は翌日に戻りましたけど、
すぐには戻らない人もいましたからね。
その時は原発が危険だからというのではなく
余震が危ないから帰らないほうがいいという判断で。
大変なことが起きたんだなという実感が湧いたのは、
テレビなどで見る映像の力が大きかったと思います。
あの津波の映像は、やはりインパクトがありましたから。
ただ、だからといって自分の生活に直結するリアリティーを
感じたかと言われると・・・・・・どうだろう。
津波被害というものに対する知識は
あるようでなかったですからね。
それに比べると、原発の事故というのは
ずっと以前から警告されていたものだし、
危機意識みたいなものもそれなりに共有していたので、
「本当に現実になってしまったのか」という意味で
とても重く感じました。

ミュージシャン一人ひとりの
思いを共有する“NNG”

────

井上さんは1998年から
核の問題をテーマにしたコンサート「No Nukes Gig」に
運営スタッフとして参加し続けていらっしゃいますが、
核に対する危機感を持つようになったのはいつごろからですか。

井上

まず「No Nukes Gig」については、
世田谷に住んでいた僕の親世代の音楽家が中心になって
開催していた「世田谷反核平和コンサート」が
もとになっているんですね。
「世田谷反核平和コンサート」は、
芥川也寸志さんという作曲家が提唱した
「反核・日本の音楽家たち」という、
80年代にとても大きな動きになった
ムーブメントから生まれたクラシック中心の音楽会で、
「No Nukes Gig」はそれを受け継いだような形なんです。
だから核の問題についても、
外から情報を仕入れて関心を持ったというより、
もっと徐々にじんわりと受け取っていましたね。
それからもうひとつ、僕の場合は、
チェルノブイリの事故があった直後の、
まだ「ミルクを飲んではいけない」と言われていたような時期に
仕事で2週間ほどデンマークの録音スタジオに行ったことも
大きくて。
「えっ、そんなところに行くんですか!?」というような声も
たくさん聞かれるような状況で、
行ってみると実際に雲の流れなどが影響して
線量が上がったりもしていたんですね。
もちろん僕はそこで暮らしているわけじゃないし、
通りすがりの人間の感覚ではあるんですけど、
それでも記憶としてはすごく鮮烈で。
だから日本でもチェルノブイリと同じようなことが起きる
可能性というのは当然、
情報としては知っていました。
けれども、本物の知識や危機意識はやっぱり持っていなかった。
だから実際に福島第一原子力発電所の事故が起きた時、
その可能性を知っていたはずなのに
なにもしないうちにここに至ってしまったな・・・・・・という思いは
ありましたし、
そのことに対するショックも、あるにはありました。
ただ、驚いて立ちすくんだかというと、そうでもなかった。
がっかりはしましたけど、諦観というか、
わりとクールに受けとめましたね。

────

つまり井上さんは、ご自身を取り巻く環境からの影響もあって、
かなり若いころから核や原発に対する問題意識を持っていらした
・・・・・・その上での3.11だったのですね。

井上

たしかにそうなんですが、
今回の出来事について考える時に、
それ以前から自分に知識があったかどうかということは
大きなポイントじゃないと思うんです。
周囲にいてわかっていたか、
わかっていなかったかという違い以上に、
専門家と呼ばれる層ですら誰もなにもできなかった、
事故を防げなかったということが重要。
そういう意味では、みんな一括りだと思うんですね。
結局、電力会社による「原発とはこういうものです」という
アナウンスなり教育的なものはずっとあったわけですけど、
その逆の見方を知らせる活動というのは、
労働運動が強かった時代にはできていたかもしれないけど、
最近はほとんどできていなかった。
でも、いまはそれをやらざるを得ないし、
誰かが教えなくてもみんなが知っているという状況が
昨年の3月に生まれてしまった。
それは非常に悲しいことで、こんなことが起こる前に
ちゃんとイーブンに教えていかなきゃいけなかったんだと、
いま改めて思っているんです。
そういったことを踏まえた上で言えば、
僕の親たちがやっていたのは
世田谷での小さなコンサートですけど、
15年以上続きましたし、
僕もそれなりに影響を受けてきたとは思います。

────

クラッシック音楽中心だった「世田谷反核平和コンサート」を
ポップス色の強いコンサートに変えたのは、
井上さんのアイディアですか。

井上

そうですね。
父親が亡くなったりという世代交代もあって、
自分が手伝うなら、さまざまなジャンルの人たちにも
声をかけたほうがいいだろうと。
僕は、芥川さんが
「反核・日本の音楽家たち」の宣言のなかで言った、
「続けられないことを短期間だけやって、
あとはなにもなくなってしまうよりは、
1年に1日だけ、音楽をやる人たちが核の問題について
時間とエネルギーを費やすことは大事だ」
という言葉がすごくいいと思っていて、
僕にとって、とても共感できることだったんですね。
ある種のゆるさがあるというか。
芥川さん自身、理屈っぽい社会派というよりは
非常に洒脱な人でしたから。
だから、その気持ちの部分を受け取って、
自分なりに答えを見つけていこうという意識で始めたのが
「No Nukes Gig」なんです。
“No Nukes”と掲げてはいるけれども、
アンチの人だけじゃなく、
よくわからないという人や一部分は認めるという人も交えて
なにかを考えるきっかけになればいいんじゃないかという、
ゆるいやり方のままいまも続けてます。
ただ、なぜ15年にもわたって続けてこられたのかを
改めて考えてみると、僕のなかに
「ミュージシャンや音楽家に対して発信している」という
意味合いがあるからだと思うんですね。

────

聴き手に対して発信しているだけではなく?

井上

もちろん客席がいっぱいになるというのは
非常に大事なことのひとつですけど、
それ以前に「表現したい」という人がいてくれないと
成立しないわけですよ。
経費節減のために結果的には僕も出演しているものの、
僕が出たくてやっているコンサートじゃないというか。
参加してくれたミュージシャンたちが
ちょっとずつでもいいからほかのミュージシャンに声を掛けて、
次の年にはまた新しい人が参加してくれる・・・・・・
そういうのがいいと思っているんです。

以前スタジオ・ミュージシャン同士としての知り合いで、
個人的にはさほど親しく付き合っていたわけではない
ギタリストが、
あるグループの一員として参加してくれたんですね。
僕は彼がどういう気 ちで出演したのか
よくは知らなかったんですけど、
彼がMCでこんな内容の話をしたんです。
「戦争という極限状態のなかでは、
どんな家庭にも起こりえたような話だろうが、
もし僕の祖父があの日(1945年8月6日)の朝に
広島行きの列車に予定どおりに乗っていたら、
祖父は広島で亡くなった可能性が高い。
だとすると自分の母親も生まれてはいなかったし、
自分もここにはいなかったことになる。
僕にとって広島の悲劇は決して遠い出来事とは感じられない。
平和はかけがえのないものだと思う」・・・・・・という。
僕は、一人ひとりがそういう話をすることが大事で、
スローガンを共有する人をたくさん集めるという仕事とは
また別の仕事が、
そこにあると感じてるんです。

────

「また別の仕事」について、もう少し教えていただけますか。

井上

スローガンに賛同して出演するというのじゃなく、
僕もお客さんも、
もしかしたら一緒に出演している人たちすら知らない
その人の内面に触れることで、
音楽を発信している一人ひとりのなかに、
社会や歴史に対するいろいろな思いや
平和に対する願いのようなものが
ちゃんとあるんだなということを知って、
共有する・・・・・・ということですよね。
僕は一人ひとりがそういう思いを持った上で
ここに参加してくれていることの素晴らしさを
共有し続けていきたいんです。
言い換えると、
お客さんが一人もいなかったとしても、
そんなふうにミュージシャンが集まって
思いを共有しながら音を出せるんだったら、
やる意味がちゃんとあるだろうと思うんですね。
僕自身は親のやっていることを
引き継ごうと思ったわけではないし、
クラシックの音楽家たちがやってきたことに
ものすごく感動したり共鳴したかと言うと、
心情の一番正直なところではちょっとズレがある。
もちろん、大先輩たちのやってきたことを
風化させてはいけないんじゃないか、という気持ちも
大きいんですよ。
ただ、このコンサートを通じて
客席にいる聴き手に呼びかけたり、
お客さんとつながりたいと同時に、
ステージに上がっているミュージシャンと
つながりたいという気持ちが強いんですよね。
一緒にやってるみんなも
いろいろなメッセージを持っているんだなあという実感が
ちょっとしたきっかけで感じられる・・・・・・それが
「No Nukes Gig」(以下NNG)をこれまで続けてこられた
理由だと思うんです。

────

いまのお話はミュージシャン同士の連帯感や
仲間意識に目を向けているようで、
実はむしろ「個」を尊重するというお話ですね。

井上

たしかに、仲間意識というのは
大きな意味ではあるんでしょうけど、
そこを強く求める人がこういうイベントを続けるのは
難しいかもしれないですね。
つまり「実際には食い違っているんじゃないか?」
ということを言い出せば、
実際、食い違っていると思うんですよ。

かなり以前の話ですけど、出演者同士で交流会をやった時に、
その時の出演アマチュアバンドに
「核兵器は別だが、原発は必要だ、維持すべきだ」
という意見を持っている人がいて、
NNGの趣旨には賛同しない、
お付き合いで参加しているんだと言いきったんですね。
僕が行かないと一緒にやっているメンバーが困るから
来たんだと。
まあ、彼はその場に石を投げることで
新たな論争が展開されるのを期待した向きも
あったのかもしれないですけど、
イベントを手伝っていた若い人や実行委員の人たちは
「それにもかかわらず参加してくれてありがとうございます」
という感じだったので、
なんだか不思議な会話になったんです。
で、僕はそれがすごく面白かったんですよ。
異なる意見の人がいることを体感として知るのは
大事なことです。

たとえば、国によってはイスラム、カトリック・・・・・・と、
宗教の異なる人たちが共存しているわけですよね。
クリスチャン同士であっても
プロテスタントとカトリックでは原則がまったく違う。
でも、社会というのはそういうことの上に
成り立っているんだという認識が互いにある。
僕はイギリス人と仕事をする機会が多いんですけど、
彼らは身近に異文化を意識しながら暮らしている。
でも音楽というツールで繋がろうとする時には、
音楽というのはもともと形のはっきりしない
時間を共有するアートなので、
そういった違いを受け容れていく
間口の広さがあると思うんです。
僕が「NNGはゆるいやり方をしている」と言うのは、
そういう思いがあるからなんです。

────

NNGの存在を、
そこにまだ集っていないミュージシャンたちに知らせたい、
彼らになにかしらのメッセージを伝えたいという気持ちも
ありますか。

井上

コンサートの存在を知らせたいという思いはあります。
実はみんな知っているとは思うんですけどね。
たとえば坂本龍一さんがやっていることも
アーティストたちはみんな知っていて、
でもそれぞれの立場だったり事務所の問題などがあったりして、
個人としての気持ちとパブリックな立場とのコントロールが
うまくできていないだけだと思うんですよ。
「メッセージを伝えたいか」ということについては、
さっきの話がひとつの答えで、
外から見るとなにも伝わっていないように感じられる人たちも
実はたくさんの思いを持っているんだということを知った経験が
僕にとってはとても貴重だったんですね。
でも、それは実際に経験しないとわからないことなので、
そういう意味で、
「まずは一度来てみてくれませんか?」というのが
一番大きなメッセージです。
そのためにリクルートしたりはしていませんけどね。
プッシュしたからといって
いい返事が返ってくるというものでもないので。
なんというか、こう、自然と戻ってくるものは確実にあって、
それがモチベーションにつながってます。

────

実はこのインタビュー企画で、
ウクライナのプリピャチでチェルノブイリの原発事故を経験した
シンガーのナターシャ・グジーさんにも
お話をうかがったんです。
彼女もNNGに参加していますが、
彼女にとっては非常に重たいメッセージを持つ
コンサートですよね。
そういった重さ、深刻さについては、
井上さんはどう受けとめていますか。

井上

たしかにコンサートのテーマそのものは重たいものです。
でもNNG自体は、
音楽が持ちうる一体感の可能性を信じる気持ちの強いものです。
僕の高校時代は学生紛争の最後のころで、
僕が通っていた高校でも紛争があったんですね。
そんななかで「論破する」という言葉の虚しさを
すごく感じてました。
論破しても、されても、
結局は納得していないという状態をたくさん見ましたから。
だから、もしなにかを少しでも破ることができるのだとしたら、
僕は「論」よりも「音」のほうが
可能性があると思っているんです。

────

ナターシャさんも
「言葉よりも音楽で伝えたい」と強調なさっていました。
実際NNGでは、出演者それぞれが任意で
コンサートの趣旨に関連するひとこと、ふたことを述べる以外、
大きな声でメッセージを発する場面はないですね。
音楽という間口の広い表現方法の可能性を
言葉によって狭めない、というふうに受けとれました。

井上

ええ、そう思ってもらっていいと思います。

主体性を存在としてアピールするのが表現者

────

井上さんが核に対して関心を持つようになり、
その問題意識を咀嚼して
はっきりと「ノー」を選択したのは、
どういう理由からだったんでしょうか。

井上

というよりも、僕自身は
「核だけの問題じゃない」という意識が強いんです。
日本にかぎらず、世界各国の政治や歴史を紐解けば
たくさんのエゴや嘘があるわけで、
人間はそれら多くのことをごまかしながら生きている。
実際、エネルギー問題、水の問題、薬害をはじめ、
問題はたくさんありますよね。
「核だけがダメなんだ」と、
それだけを取り出して考えたことはあまりないんです。
ただ、修復の困難さという意味では
間違いなくワースト3には入るでしょうから、
これは止めたほうがいいでしょうとは思いますけどね。

────

おっしゃるとおり、
仮に原発はやめようということになったとしても、
さまざまな問題のひとつが表面的に片付くことにしか
ならないのかもしれません。
人間の物質的な欲望をどうするのか、
他者や地球環境との真の意味での共存とはどういうことか。
今回の原発事故による警鐘はなにも、
核利用、原発という問題のみに
鳴らされているわけではないですね。

井上

そうですね。
コミットしなくちゃいけないと感じることは
ほかにもたくさんあるし、
きりがないです。
自分は一人しかいないわけだし、
自分のできること、やりたいことを、
みんなそれぞれが大事にしていかなくちゃいけない。
そして、自分が関心を持って実際に見たり聞いたりすることに
どれくらいコミットしていけるのか、ということについて、
ものを作る人はあまり過信しないほうがいいとも思うんです。
アーティストって、ほかの人よりたくさん伝えられると
思いがちなので。

────

どういう意味でしょうか。

井上

これは僕自身も
まだ考えがきちんとまとまっているわけじゃないんですけど、
たとえばあるミュージシャンが、
今回のような出来事にインスパイアされて
いい曲を作ったとしますよね。
「いい曲を作った」という、
それ自体は素晴らしいことです。
一方で、一般企業のごくふつうの会社員が
被災した人にある程度まとまった金額を寄附したとする。
そうすると、苦しい思いをしている人にとっては、
どちらのほうが助けになるか、
前に進むための力になるかというと、
微妙だなと。
そういうことを音楽家は謙虚に考えないとね、と思うんですよ。

ちょっと話がそれますけど、
地方の文化施設の維持が問題になったりしますよね。
作る時は建設会社や地元にお金が落ちるということで
歓迎されるけど、
いざ維持していこうとなると、
中身にかかるお金がもったいないとなって
予算がどんどん削られていく。
それが現在の日本の文化状況です。
それは音楽家の立場からすると本当に酷いことだけど、
音楽家以外の人たちが言っていることのリアリティーも
わからないとダメだと思うんですね。
アーティストは自分たちのやっていることについて、
至上主義とまでは言わないとしても、
やはり自分たち側の視点だけで物事を見てしまうことが
少なくないと思うので。

────

目に見えないものの価値というのは
とても主観的なものですから、
客観的な物差しで測ることが可能な物質的なものと
価値の大小を比較するのは難しいですね。

井上

込められている思いが素晴らしければ
素晴らしい音楽になるともかぎらないですしね。
・・・ああ、だから僕はこういうことを言いたいんだと思います。
日本の音楽家は概して
社会人としての意識が希薄だということへの
反省や自戒といったものが必要なんじゃないかという。
たぶんそういうことだと思います。

────

先日、原子力発電に対してさまざまな立場をとっている
科学者や技術者10人ほどが、
原発について専門的な知識を持たない一般の人たちと交流を持つ
集まりがあったんです。
その際に科学者側から
「自分たちは社会から隔たりのあるところで生きてきて、
社会の一員であるという認識をきちんと持てていなかった。
そのために、この非常時において
社会のなかでいまひとつ役に立てなかったし、
むしろ社会を混乱させる側に立ってしまった」
という反省があったんですね。
それに近いような気がするのですが。

井上

相当近いでしょうね。
まあ、そういうふうに言っていくと、
現実的には関係の希薄なコミュニティが集まったのが
社会だから、
いまの話はすべての立場の人にあてはまって、
政治家も官僚も、教育者も医療関係者もということに
なっていくと思いますけど、
まさにそういうことだと思います。
どんな職に就いていようとすべての人が社会人なわけですから、
自分たちはどういう社会を求め、
作っていこうとしているのかを、
もっと多様な人々がいる開けた場所で
話し合っていかなくちゃいけないんだと思いますね。

────

先ほど、
「論よりも音のほうがなにかを突破できる可能性がある」
というお話がありましたが、
それはまず社会の一員であるという自覚があって、
その上で音楽家としてなにができるかということですね。

井上

そう思います。
と同時に、「アーティストがほかの人より
たくさん伝えられると過信しないほうがいい」と言った
もうひとつの理由は、
特にこういう状況下で
なにが起きているのかということについては
当事者以上には伝えられるわけがないということなんです。
たとえば「被災地意識」とか「被災者意識」という言葉が
一般的に語られるようになったのは東日本大震災以降です。
阪神・淡路大震災をはじめ
これまでにもいろんなことが起きていたにも関わらず、
それらの言葉が一般化するという意味において
サイズが足りなかったということなのか、
ここまでは浸透しなかった。
で、その被災者意識というのは今回の件で言えば、
物理的にも大きな被害を受けている人と、
東京で、しかも実業ではない仕事をしている人とでは
色も形も大きく違うと思うんですね。
その事実をしっかりと意識して、
自分が感じているものをそのままの大きさで認識することが
大切だと思うんですよ。

たとえば福島で暮らしてきた人たちのなかには
原発を「怖いな、大丈夫かな」と薄々不安に思いながらも、
その土地に長年横たわってきた
政治やいろいろなロジックのもとに、
そこで生きる道を選んできた人がたくさんいる。
そんななかで、ああいうことが起きてしまった。
彼らの人生、実感からにじみ出る言葉に比べたら、
たとえジョン・レノンのひとことであっても
全然かなわないと思うんですね。
だからアーティストと呼ばれる人たちは、
当事者から発せられるもの以上に
重たいものはないんだということを自覚していないと
ダメだと思うんです。

────

井上さんは今後、
No Nukes的な活動を増やしていこうという気持ちは
ありますか。

井上

あまり考えたことがないんです。
続けられるサイズというのはそれぞれだと思うし、
その中身を鋭く研ごうという意識はあって、
コンスタントに持続させていくことの大切さは
もちろん感じていますけど、
全体量を増やそうとは思わないですね。
それよりはむしろ、たくさんの人がたくさんの場所で
少しずつなにかをすることによって、
世のなか全体としてプラスが増えるということを
望んでいるので。
最終的には多数派になるしかないんですよ。
変わっていくためには。
だけども、それぞれのスタンスというのは
それぞれがある種の責任感のもとに
自分のやり方を続けていくのが良いと思うんです。

────

責任感、つまり主体性はとても重要だと感じています。
3.11以降はデモや抗議活動も盛んになりましたし、
なにかが変わる時には
平時とは違う熱さや興奮も必要かもしれません。
一方で、大勢が大勢として動く時に生じる群集心理というのは
匿名性や無責任性が大きな特徴でもあります。
もし本当に潮目が変わり始めたのであればなおのこと
群集心理によってではなく、
自分にはなにができるのか、
自分はなにをしたいのかをきちんと見極めたうえで
主体性をもって動くということが、
とても大切なように思うのですが。

井上

そう思いますね。そして、
「みなさん、主体性を持って動いてますか?」ということを
存在としてアピールするのが、
アーティストだったりジャーナリストだったりという
表現者だと思うんです。
なにを表現するかというのはもちろん大きな問題ですけど、
それ以前に表現者であり続けようという姿勢、
自分にとって大事なものを守り続けていこうという気持ちを
つなげていくことが重要というか、
それしかないと僕は思っているんです。
とは言いつつも、僕も震災直後は仕事が延期になったりして、
どうやって自分のバランスを取ろうかという時期が
あったんですけど。

────

と言いますと?

井上

震災直後は僕も、
あまりゆっくりと音楽を聴こうという気分には
なれなかったんですね。
心がわさわさしていて。
その時にふと思い出したのが
ピーター・ガブリエルの「Don't give up」という曲で、
もともとすごく好きな曲だったのもあって
何度も聴き直したんです。
そうしたら気持ちも落ち着いて、
励まされるというのはこういうことなのかなと
実感したんですね。
で、あの時は多くの人が
「いいことをやりたい病」に罹っていたと思うんですが、
僕も、これを日本語 にすれば
よりたくさんの人に伝わるんじゃないかと考えて、
日本語バージョンを作ってみようと、ちょっと動いたんです。
ピーターに連絡して
オフィシャルな日本語版を作るOKをもらい、
イギリスに住んでいる日本人の友人と
禅問答みたいなメールのやりとりをしながら歌詞を訳して。
それである程度まではできたんですけど、
そこまでの作業のなかで、
最初の熱気が違うものになっていったんですね。
たとえば、誰か有名な人に歌ってもらって
リリースするというようなイメージも多少は抱いていたのが、
だんだんと変わっていった。
もちろんこういう場合に
ビッグネームがたくさんのお金を集めて支援するというのは
ひとつの大事な形で、
その人にしかできない支援の仕方であり、
手の差し伸べ方だと思うのですけれども、
じゃあそういうことを自分がやりたいのか?と
立ち止まって考えてみたら、
そうじゃないんじゃないかと。
いまも少しずつ作業を進めてはいるんですけど、
まず音楽的にじっくりと熟成させて作って、
そのあとに「実はこういうことをきっかけにして
作ったものなんです」ということを伝えたほうが、
僕の気持ちも音楽としてのメッセージも
しっかりとしたものとして伝わるんじゃないかと
思い始めたんです。

────

それは井上さんが
3.11に対するご自身の在り方を定めるにあたっての
大きな出来事だったのでしょうね。

井上

自分のなかでは、わりと大きな出来事でしたね。
たとえば英語の詞を日本語に訳して歌おうとすると
言葉数をかなり減らさなくちゃいけないので、
もとのニュアンスが生かし切れないところもあるんです。
もとの曲はサッチャー時代に
不況やリストラのなかで仕事を失った家族の歌なので、
そういう意味合いをきちんと残すように訳すのか、
それとも日本の現状にフィットする
応援歌みたいなことにするのかというのも
難しいところなんですね。
どちらも嘘のような気もするし、作りながら、
この曲の本当に重要な部分は残っているだろうか、
この曲で僕はなにがしたいのだろうかと何度も考えるわけです。
その考える時間が自分のなかでは
すごく大事な時間だったみたいで。
おおもとの気持ちは変わっていないんだけど、
具体的になにをするかというところで、
本当に自分らしい視点には立てていなかったというか、
世のなか全体と一緒にちょっと浮き足立っていた・・・・・・。
足が地に着いていなかったんだなというのは
振り返って感じました。

人間に対する信頼感を「希望」と呼びたい

────

少し戻りますが、福島第一原子力発電所の事故を知った時に
ある種の「諦観」があったとのことでしたが、
具体的にはどういう感覚だったのでしょうか。
たとえば「日本は変われないのでは」という思いを
お持ちですか。

井上

いや、変われるとは思ってますよ。
そんなに簡単ではないと思っていますけど、
変われるし、もう変わってきていると思う。
素晴らしいことだと思います。
でも長い歴史を見てみると全然進歩していない部分もあるので、
悪く言えば、僕はちょっと疑い深いのかもしれません。
たとえば税金の使い方、町のかたち、
コミュニティの在り方などいろいろと思うことがあるわけです。
そういったことは、
原発の問題ひとつが取り沙汰されたからといって
どうにかなるわけじゃないですよね。
もちろんきっかけにはなるかもしれない。
地震と津波と原発の事故というきっかけを得たことで、
それらのことにもようやく世間の目が向いたというのは
あると思います。
でも、本当の意味でプラスの方向に転じていくまでには、
やはりたくさんの人がちょっとずつ
自分のサイズで変わっていかなければダメだと思うんです。

────

井上さんは今回、物理的に大きな被害を受けた方と
話す機会はありましたか。

井上

僕は、群馬に知り合いがいるんですね。
子どもを通じて知り合った方なんですが、
浅間山の麓で農業をやっているんです。
もともとはまったく違う仕事をやっていたんだけれども、
10年ほど前から農業を始めたので、
応援する意味も込めて、
彼らが作っている野菜を買っているんですね。
今回の出来事を受けての彼らの対応というのは
僕らのレベルとはまったく異なるシリアスなもので、
自分たちの畑を調査したら
土壌が放射能に汚染されていることがわかったり、
それにどう対応していけばいいのかという、
文字どおり生活の基盤に関わる大問題を抱えたわけです。
いろんな報告やら連絡やらをメールなどでくれるんですけど、
そのやりとりをしていた時にはやっぱり、
これはとんでもなく大変なことなんだなというのを
改めて感じましたね。
彼らは非常に凛々しくやっているし、
今年はちゃんと再開して、
僕らも彼らの野菜を食べているんだけれども、
しょっちゅう土壌の検査をしなくちゃいけなかったりとか、
一昨年とは違うところでいろいろとがんばらなくちゃいけない。
戦争にしろ今回のことにしろ、
社会的な不合理というのはこうやって人々の生活に
重くのし掛かっていくんだなというのを、
とても身近なところで実感しました。

────

特に今回は、地震、津波、原発事故と災害の規模が大きく、
放射能問題が絡んでしまったがゆえに、
生活再建の糸口さえつかめない人がいまだ大勢います。
経済的な補償もままならない状況ですが、
たとえ経済的な補償がなされたとしても、
土地や仕事を失った人々の生きるためのモチベーションは
お金で補えるものではありません。
また、原発問題、放射能の危険性が露わになったことで、
日本全国に鬱々とした空気が広がってもいます。
それでも前を向いて生きていこうと思えるための灯り、希望を、
井上さんはどこに見出せると思いますか。

井上

そうですね・・・・・・遠い未来の希望と
手近なところで見いだす希望とでは、
同じ「希望」という言葉でも
ちょっと違うんじゃないかとは思いますね。
近いところに希望を見つけるのは、
いまはなかなか難しいかもしれない。
でも、いまお話ししたように、
知り合いがこれまでと変わらないスタンスで
野菜を作り続けてくれていて、
僕ら家族はそれを美味しく食べていることで
一緒にがんばっていこうと思っている。
それもひとつの希望というか、
一過性のことじゃない部分で希望をシェアしている、
そう感じているんですよね。
野菜を食べることは僕が
音楽家であることとはなんの関係もなく、
誰にでもできることですけど、
僕自身はそういうことのなかで
希望というものを実感しています。
それからやはりNNGに出演してくれる人たちや
参加してくれる人たちから受け取るものも、
僕が身近で感じている希望だと思いますね。

────

遠い未来の希望については、いかがですか。

井上

人間って意外としぶといものだとも思うんですよ。
なんの話だと思われるかもしれないけど、
最近、江戸時代のお百姓さんと呼ばれていた人たちが、
これまで言われていたような苛酷な生活ぶりとはまったく違う
日常を送っていたのではないかという研究が
たくさん出てきていますよね。
土地に縛られてどこにも行けなかったというのも
実はそうではなく、
お伊勢参りだとか、
いまでいう農協の団体旅行みたいなものを
頻繁にやっていたらしいとか、
流通のルートもこれまで考えられていたよりも
ずっと水運が発達していて、
経済的成功者もたくさんいたのだとか。
で、なぜそういった部分が
現代にちゃんと伝わっていなかったのかを考えた時に、
明治政府にとっては江戸時代というものが暗黒であったほうが
良かったから、という意見もあって。
なんだ、またそういう話かという。
結局、明治維新にもそういう部分があるんだなと
感じたりもするわけです。
ただ、その裏返しで、江戸時代の人も結構のびのび生き生きと
暮らしていたんだなということを知ると、
人間に対する信頼を感じるんです。
ああ、人間っていいなあと思うんですね。
励まされるというか。

────

苛酷な年貢に苦しみ、
搾取されていたという不遇なイメージのある
江戸時代の農民たちも、
実は彼らなりに人生を享受していたのだと知ることが
問題山積の現代に生きる私たちの生きる意欲につながると。

井上

もちろん封建制による苦しみはあったでしょうし、
僕らにはわからないこともまだまだあったでしょうから、
その時代を全面的に肯定するとか
懐かしむという意味ではないんですけど、
そういうご時世のなかでも不正を暴いたり、
身分制に押さえつけられていながらも
自分の仕事をしっかりと作り出して
生き生きと暮らした人たちもいると思うんです。
で、もっと遡ると、保険制度って
古代ローマの退役軍人のためにできたものですよね。
もちろん帝国が拡大している時の話でしょうけど、
そんな大昔からそういうものがすでにあったんだと
考えていくと、
民主主義がいろいろな進歩を生んだのは事実としても、
時代や社会体制を問わず
「支え合う文化」というのは存在するんだなと。
そんなふうに考えてみることも
人間というものに対するひとつの希望だと思うんです。
短中期的な視点で見れば
僕も現代の社会に対していろいろな批判や意見はあるし、
政権交代をしても全然変わらないどころか
混乱を増しているじゃないかと言う人の気持ちもわかる。
そこに希望というのは
なかなか見いだしにくいとも思うんだけれども、
もっと長いスパンで見た時には、
人間に対する信頼感というものを
希望と呼んでいいんじゃないかと思いますね。
ただそれは、なにを創ってきたか、なにを残してきたか、
というレベルでの人間の活動に対してであって、
なにを壊したか、なにを失ったかについては
苦く噛みしめないといけないし、
数千年前と同じような問題が
いまだ解決していなかったりもするということも
きちんと認識しておかなくてはと思うんですけどね。

────

井上さんは将来を悲観してはいないようですね。

井上

悲観も楽観もないと言うのが正直な気持ちです。
でもだからこそ、この先の10年、20年のなかで
日本の次の世代の人たちが今までと違う価値観を
どれだけ作れるかということが、
とても重要だと思うんです。
僕はもう真ん中より上の世代だし、
自分が感じたり考えたりすることを
仕事を通じてどれだけ伝えていけるかということしか
ないんじゃないかと思いますね。

まずは知って、伝えていくことが重要

────

原子力発電の問題をはじめ
さまざまな社会問題に対してこれまで自覚的ではなかったとか、
3.11という出来事に対して
どんな行動をとったらいいのかわからないといったことから、
罪悪感や自己嫌悪を持つ人も少なくないようです。
井上さんは3.11以降、
罪悪感のようなものを感じたことはありますか。

井上

福島から避難してきた子どもたちが
線量を測られている映像などを見るとやっぱり、
大人として子どもに対して思うことはあります。
ああいう事実を前になにも感じない大人は
いてほしくないですよね。
ただ、罪悪感というのは宗教的なものにもつながる
難しい言葉だし、
僕はあまり使い慣れていないので、
僕が使うとしたら「ふがいなさ」でしょうかね。
それはもう、すごく感じました。
僕はふだんイギリスのBBCワールドを観ることが多くて、
地震直後、原発事故直後は特に、
BBCを観ている時間が長かったんですね。
BBCは日本のメディアとは報道のニュアンスが
まったく違ったんです。
どちらかというと悲観的な見方が多くて、
どんな映像も日本のメディアより早く出ていた。
そういう意味でも日本に生きる人間の一人として、
すごくふがいなかったですよね。
これでいいのか?と感じる瞬間が、とてもたくさんありました。

────

そういったふがいなさを抱えながらも、
井上さんが言われた
「この先の10年、20年をいかに 生きるか」という
大きな課題と真剣に向き合うことが、
今の私たちに求められているものなのでしょうね。

井上

まずは「知る」ことだと思うんですよ。
被災地意識とか被災者意識という言葉を出しましたけど、
自分自身や肉親が現実的に大きな被災を受けている人の重さを
やっぱり僕らは知る必要があると思うし、
知ったことを伝えていくことから始めるしか
現実的な意味での希望というのはないと思います。
そういう意味で僕が3.11以降に
けっこう強いインパクトを受けたのが、
松岡正剛さんの「千夜千冊」という書評のサイトなんです。
松岡さんのことは知っているつもりでいたんですけど、
震災以降、サイトでの文章のエッジの立ち方が
触感として変わって。
ああ、こういうふうに加速するものなんだと驚いたんです。
伝えようという気持ちのスピードが
上がってる感じがしたんですよね。
決して過激になったとか考えが変わったとかいうわけではなく、
鉛筆を削る鋭さが変わったというか、
真剣さ、伝えなきゃという意志のスピード感が
変わったのを感じました。
すごく印象的だったし、僕も肝に銘じなきゃと。
だから現実的に言えば、
僕らもふだんの会話や自分たちの仕事のなかで
少しずつ伝えていくことが大切だし、
言葉以外の方法でなにかを伝える人の責任というのも
非常に重いと思います。
音や絵、そしてデジタルメディアといった
言葉以外の方法で表現するからには、
それがどう受け取られてほしいかという方向性に
より慎重であるべきだし、
社会がいまどうなっているのかということを
受けとめる感度を大事に、
きちんと自覚をしながらやっていかなくちゃと思いますね。
そして時代が変わり、世代も変わっていくなかで、
次の世代に向かって話しかけていく・・・・・・
これが一番大切なことだと思っています。